雑誌に載った武州鉄道



○「鐵道」

これは戦前に発行されていた「鐵道」とい

う趣味誌の通巻bW9号(昭和11年10月

10日発行)で輪多奈邊鐵次氏と江茂登浩

一氏により現役の武州鉄道が紹介されて

おります。現地を訪問されたのは昭和11

年8月30日と思われ、夏の盛りの探訪の

大変さが窺がわれます。当日の御二人の

ユーモアあふれる行動と文章は何度読ん

でも楽しくさせて貰えるものであります。

また、武州鉄道のみならず、当時の蓮田

町、岩槻町、大宮町のようすが窺がえる貴

重な歴史的資料でもあります。
 
 本来、このコーナーでは武州鉄道がどん

な雑誌に、いつ頃掲載されたかをお知らせ

するに留めるつもりでしたが、このレポート

が歴史的資料としても第一級品であるこ

と、戦前に発行された雑誌で手に入れるこ

とは限りなく不可能に近いこと、図書館等

で閲覧するにしても全国でもごくごく限られ

た図書館でしか閲覧できないこと等々の理由から全文をご紹介するものです。(原文は不鮮明な部分がある

ので、原文をそのまま打ち直したものが下記のものです。)  

ステイシヨン
ハイキング
 NO.3
                                                    輪多奈邊 鐵 次
                                                    江茂登  浩 一

  第3囘ハイキングは毎度のことながら思案の末やうやく定めたのが埼玉縣にある武州鐵道である。

今日は我が同好の友江茂登君も同行されることになりました。8月30日に行くことに決定して、當日は

絶好のハイキング日和り、此の分なら素的な寫眞が寫せるだらうと、勇躍して上野驛に向ひました。

乗つて行くのは第133列車で、もうホームに長い身體を休ませて皆を待つて居ます。2人はホームに入

るとすぐ我が乗る列車を牽いて下さるお罐をみなければフアンの名折れだてんで先頭まで駈足し、ロコ

が白川庫のC51105號なるを見て安心?してすぐ次のナハフに乗込みました、未だ出發には大分間が

あります。日光號と信越線の列車を見送つて、いよいよ8時45分汽笛一聲13輛編成の列車は上野驛

を離れました。日暮里を過ぎる頃から次第に速力を増して尾久操車場行の推進列車(田端庫のC5097號付)

を追抜き尾久驛着、53分入換に從事する2120機を後に殘して發車、9時1分赤羽着、此所で今まで空々

だつた座席はほとんど塞がり大部窮屈になつて了ひました。間もなく赤羽を發車、荒川鐵橋を渡ると川口市、

此處では鑄物工場の櫓形屋根が目立つて見えます。次は蕨、日本車輛を横目に見つゝ浦和市を過ぎ少し

行つたところに9月1日より營業開始の北浦和驛が支度萬端を調へて控へて居ます。・・・・・大宮で高崎線に

分れ畠の中を走ること10分にして第1の目的地蓮田驛に到着致しました。ところがナハフの前半がホーム

からはみ出して了つたので二人は下へ飛降りてホームへ上らなければなりませんでした、普通の人なら困る

でせうが私達はかへつて飛降りを喜んだわけです。列車の影が見えなくなるまでホームに立つて居てそれか

ら外へ出ました。

 驛のホームには武州線乗換の標が立つてゐます、又ガソリンカーも見えてゐます。こゝで武州鐵道に就て

一寸お話し致しませう。先づ營業開始は大正12年頃ださうで(はつきり判りません)營業線は蓮田、武州大門

間14.2Kmで全線單線です、閉塞區間は蓮田、岩槻間、岩槻、武州野田間、武州野田、武州大門と3つに

なつて居ます。車輛は機關車はbP・bQの2輛、東京雨宮製0−6−0形タンク機關車で1輛づゝ使用し他の

1輛は無火にしてあります、ガソリンカー使用前には是が客車を牽いてゐました。ガソリンカーはキハ1形1・

2・3、キハ5形5、キハ15形15の合計5輛で他に客車2輛有蓋急緩貨車1輛、無蓋貨車2輛以上が全車輛

です。

 蓮田驛助役氏の紹介で貨車列車の機關車に乗せて貰ふことになり、武州大門まで行く豫定を變更して岩槻

までの切符を求めてホームへ入りました。丁度そのとき向ふから貨車數輛を牽いたbP號ロコがゴトリゴトリ

とやつて來ました、そして貨車の入換へをやり、今度は岩槻行の省の貨車5輛と最後に社のワブ2を連結した

列車を編成して、ヤレヤレと云つた顏で休みました。荷物があれば武州大門まで行きますし又蓮田まで2〜3

度は往復することもあるさうです2人は機關車が貨車を入換へしてゐる間にそこに居たガソリンカーを寫しまし

た、ところが不思儀なことに車輛のどこにも文字一つ書いてありません、で車掌氏に伺ふと「是は5形の5號で

すが最近塗變へたので未だ番號を書かないのですとのこと、其ののんきなのにはびつくりすると共に又うれし

くもありました。10時11分5〜6人の客を乗せた5號車は草むらの蔭へと姿を消して行きました、そしてしばら

くたつて新しいキハ15號が姿を現しました、デツキには大きな苗木が乗せてあります。そこで早速カメラに入

れました、之は前の5號より素晴しくこんな草深い鐵道には勿體ない位です、尚5號も15號もローラーベアリ

ングを使用して居る様です・・・・・・10時40分を少し過ぎた頃青森行103列車がC5538(宇)に牽引され

相當な速力で驛を通過して行きました、機關車の前のナンバープレートがちやんと付いてゐないのでバタン

バタンとゆれてゐたのには驚きました。・・・・・・未だ貨物列車の出發までには30分程時間があるので雜談に

暇をつぶして居る内、機關車に乗るのは暑いし・・・・・・此日は雲一つない上天氣で扇子をつかつても上着を

脱いでも間に合わぬ位暑いのです・・・・・・それにこんな狹いところへ2人も餘計に乗るなんて・・・と云ふことに

なり機關車はあきらめることにしましたが、ガソリンカーに乗つて行くのは平凡だから! では貨車に乗せて

貰はふと相談、早速車掌さんに頼んで了解を得ました。11時15分、いよいよ出發です、2人は最後部の緩急

車に乗りました。機關車は柄に合わない大きな汽笛を張上げゴトリゴトリ動き出しました。書落しましたが機關

車は後向きに付いて居ます。さて列車は驛を出て左折し畑の中を時速15q位の速力でガタゴト走つて行きま

す、線路は物凄いもので畑の間を走つて居る時は線路ではなく畦道を走つて居るのでは無いかと思ふ位ひで

草が澤山生へてゐます、線路の中にも生えてゐること勿論です。草の中に2本の鐵の棒がうねうねとつゞいて

居ます「こんなに草が生えてゐてのろいのでは振り落されても大したことはないね」と2人で笑ひました。乗つて

居る緩急車はドアーがこわれかゝつてゐて中に光が入つて來ます。味噌が5・6樽とビールが一打、他に何だ

.か少し積んであります。味噌の嗅と機關車の煙と畑の香水 の嗅とひどい振動には、すい興で乗つたとは

云ひ乎ら全く弱りました。尚此鐵道から發送する貨物は主に甘蔗・胡麻油等で到着は肥料が大部分です。

 列車は驛員無配置の停留所を3つばかり通り越し15分程で岩槻町に着きました。ガタガタゆられたので相

當グロツキーになつたです、車掌氏にお禮を云つて車庫をたづねました。中にはキハ1形3輛、bQ號機關

車、客車2輛が入つて居ます。キハ1形はエンヂンが飛出して居て前囘のハイキングの成田鐵道の201形を

大きくした様なもので、全部庫の中に居て寫眞が寫せなかつたのは殘念でした。bQロコは可成いたんで居ま

した、客車は4輪單車踏板式の所謂マツチ箱でハ1とハブ1です、内部をのぞいて見ましたが埃で眞白でした

これは近江鐵道から買入れたのださうで開通當初より昭和3年頃まで混合列車に連結されタンク機關車に引

つぱられて居たとのことです、それから庫外に無蓋貨車2輛がおいてあります。庫を見て居る内今日の用を濟

ませたbPロコが庫へ戻つて來たので早速寫しましたが太陽の位置が惡いので好結果は得られませんでした。

 さてこれで武州鐵道も一通り見ましたのでお別れして總武鐵道の岩槻驛へ行くことにし岩槻町驛前の井戸で

水を3ばいづゝ飮んで歩き出しました。唯一の名物とか云ふ鐘樓を右に見て少し行くと廣い通りに出會ひ左折

しました、時刻はお晝少し過ぎ、太陽は頭上からカンカン燒付くやうに照付けます、通りには影が少しもありま

せん汗は瀧の様に流れます、遂に我慢出來ず上着を脱ぎました、どこかに氷屋があつたら入らうねと云ひ乍

らこゝは汚いから、こゝも汚いからと3軒を素通りする内たうたう岩槻驛に着て了ひました、又驛前の井戸でつ

めたい水をガブガブ飮込み驛の待合室で一休み致しました、暑い處を15分も歩くと相當參るです。1時5分

頃大宮行の切符を求めホームへ入りました、すぐ粕壁行モハ1001形1004號が來たので1枚パチリとやり、

待つ間もなく入つて來た、大宮行モハニ1101形1104號に乗って1時1分出發致しました、路線は平垣線で

すが武州鐵道のそれとは較べ物にならぬ程宜しい、電車の乗心地も良く、次の加倉をノンストツプで通過、

七里・大和田・大宮公園を過ぎると東北本線と並行して北大宮を經て大宮驛へ辷り込みました。

 驛前の食堂にて晝食を取り、それから仲仙道に出る、一寸手前の氷屋へ飛込んで氷を一ぱいづゝ・・・・・・

東京に居てはいつもアイスクリームで普通の氷には4、5年ぶりでお目にかゝりました。そにで元氣を取戻し

仲仙道をしばし北行、暑いので氷川公園へ行くのを止めて省線をオーバーするブリツヂを渡り鐵道工場の脇

を通つて鐵道參考館の脇で左折し、西武鐵道大宮線に添つて大宮驛裏口に出ましたが、大宮線の電車は來

てゐないので、機關庫へ行くことにして、又炎天をテクテク歩き機關庫に到り、さて「寫眞を寫すのにはことわ

らなければならないんだが僕は嫌だから君云へよ」「いや僕も嫌だよ」と押問答しながらノコノコ中へ入つて行

きました。それでたうたう默つて奥へ入り込みましたが別に寫す様なものも居ないのでそのまゝ素通りし出外

づれた處に丁度D50155が居たので帽子も上着も草むらの中に投出して之を寫し又一休みすることにしまし

た。太陽は相變らずじりじり照付けて居ます、2人のシヤツはもう汗でグツシヨリです、1本の扇子を交互に使

つたのですが、とてもそんなことでは間に合ひません、目の中に汗が入るし、頭はフラフラするし、いやもうクタ

クタです、しばらくして又歩き出し途中唯1輛ポツネンと寂しさうな顏で置いてきぼりにされて居た、碓氷峠の煖

房車をなぐさめ大宮驛裏口へ戻りましたが、大宮線の電車は未だ來て居ません、折角來たのに見ないのは

殘念だが前に寫してあるから良いやと云ふので、では歸らうと切符を求めホームへ入るや否や水道にかぢり

付いて胃袋に多量の給水です、之でやうやう人心地が付きました。こゝから東京までは電車もあるが矢張り

旅行氣分を味ひたいと云ふので汽車に乗ることになり3時28分發の第124列車の最後部におさまり4時4分

上野着、それより電車に乗換へ無事歸宅致しました。

 歸宅後早速風呂に入り汗を洗ひ落した後の氣持は千金にも勝るものでありました。        (完)


(註) 武州鉄道の探訪も終わり、大宮町へ向かうところの表記で「岩槻驛」と「岩槻町驛」が逆になっていると
    思われます。(ミスプリント?)




「鉄道ピクトリアル」

これは鉄道ピクトリアル通巻139

(昭和37年12月号)の「失われた鉄

道・軌道を訪ねて」というコーナーで、

吉田明雄氏が武州鉄道を取り上げて

います。吉田氏が訪問されたのは昭

和37年4月29日(当時天皇誕生日)

と思われ、まだ、蓮田駅東側には

ヒューム管が置かれた状態の写真が

掲載されております。内容は廃線跡の

状況、沿革、車両等について克明に

紹介されております。

 また、吉田氏は同誌通巻507(昭

和64年2月号・・・・実際にはあり得な

いと思うが?)

でも「今も残る武州鉄道の遺跡」と題し

て再び、廃線跡の現況を紹介されて

おります。
 
 二誌とも東京神田の古本屋等々で

手に入れることができると思います。また、都道府県立図書館、或いは同規模の市立図書館で閲覧が可能と

思われます。





○「鉄道ファン」

鉄道ファンにも通巻452〜

454(平成10年12月号〜平成1

1年2月号)の3号に渡って武州

鉄道が紹介されております。これ

は花井正弘氏による同誌のシ

リーズ「東北本線沿線に失われ

た私鉄の接続駅を訪ねる」の第

3弾で、接続駅である蓮田駅が

紹介されたものであるが、蓮田

駅に留まらず、武州鉄道の廃線

跡、車両についての詳細な記

述、また、美しい写真が3号に

渡って豊富に掲載されておりま

す。そして、花井氏は「一人ぼっ

ちになってしまった武州鉄道

2号機が東武野田線の鉄橋を見

つめながら思いを馳せていたこ

とと、ご自身の思いを重ね合わ

せて」完結されているのでありま

す。実は私にも鉄橋に対する

思い入れがあり、読み終えても、しばらく本を閉じることが出来ませんでした。みなさんにも是非、御一読を

お勧めします。

 この本は発行年が比較的新しいので、バックナンバーの在庫があると思われますので発行元の交友社へ

問合せて手に入れるか、図書館で閲覧することができます。