廃線跡現況図(蓮田市内)
図がうまく配置できなくて少しずれてしまいましたが、廃線跡は1〜4まで順に進みます。蓮田駅も図の関係で実際よりもやや下に表記してあります。
駅東口ができる昭和47年以前は現在の駅前広場の所にヒューム管〔我々は「どかん」とよんでいた〕がたくさん積んであり、出荷用の引込線もあった。
テレビゲームなどなかった昭和30年代の子供達の格好の遊び場であった。
駅前の道路と武州鉄道が交差するところ〔赤い線が途切れている所〕ではカタ屋が店〔?〕を開いた事もあった。カタ屋といえば蓮田市では、なんといっても
上町の須賀神社境内がメインであった。毎年、夏頃になると、どこからともなく現れて子供達の点数が貯まった頃、煙のように消えていった謎の露天商であった。
どんなにだまされても子供達は去年の出来事など忘却の彼方に捨て去り、せっせとカタ屋にお金を運ぶのであった。
廃線跡は昭和50年頃までは、はっきりと残っており、廃線跡に建てられた家はわずか2軒だけであった。年輩の人達は「汽車みち」と呼んで廃線跡を通行していた。
とりわけ蓮田市立中央公民館の裏は、昔と変わらない。