武州鉄道のあゆみ


明治43年11月5日     「中央軽便電気鉄道株式会社」が設立される。

明治44年7月31日     社名を「中央鉄道株式会社」と変更する。(動力を電気から蒸気に変更し、社名から電気の文字が消える。)

大正元年11月29日      鉄道敷設計画第1期線(川口〜岩槻間 20.9km)の工事施行が認可される。

大正元年12月28日     第1期線の工事着手される。(終点地の岩槻で地鎮祭・起工式が行われる。) 

大正2年3月28日       柏崎村(現岩槻市)村長が綾瀬川橋梁架設等の工事を承諾する。

大正3年9月          第2期線(岩槻〜忍町間 37km)の工事施行が認可される。

大正3年11月27日      第1期線の工事施行認可満了日までに工事が終わらず、工事竣工延期を出願する。(その後も工事延期が繰りかえされる。)

大正4年6月15日       資金ぐりの関係から第2期線の「岩槻〜蓮田」間の工事を先に行うことに方針を変更する。

大正8年7月6日        大宮氷川公園内の八重垣楼で臨時株主総会を開き、社名を「武州鉄道株式会社」に変更する。(資本金も85万円に増額された)。

大正13年3月10日      蓮田駅前の「旭屋旅館」にて臨時株主総会を開き、京成電鉄社長の本多貞次郎を社長に招くことを決議する。(7月に就任する)

大正13年10月19日     「蓮田〜岩槻」間の鉄道敷設工事が竣工し、岩槻駅で開通式が盛大に行われる。(埼玉県知事をはじめ600人が参列したという)

昭和3年12月25日      「岩槻〜武州大門」間が開通する。

昭和4年11月17日      総武鉄道(現東武鉄道 野田線)「春日部〜大宮」間が開通する。総武鉄道の開通で武州鉄道の経営は、より一層厳しくなる

昭和11年12月31日     「武州大門〜神根(現川口市)」間が開通する。

昭和13年8月22日      赤字つづきの経営で資金調達もできず、臨時株主総会で会社解散が議決され、認可もおりる。

昭和13年9月1日       会社解散の議決・認可おりるも、年末ぐらいまでの営業を考えていたが、関東地方を襲った大型台風により道床が破壊され、鉄道は各地で不通となり実質上の営業廃止となった。